Bali and beyond
2018.11.21
小さな島にある小さなビーチのお話
(この記事は2018年11月21日に投稿したものです)
今日は、私の愛してやまない、小さな島にある、小さなビーチと、そこにワルン(海の家)を営む家族のお話をさせてください。
バリからスピードボートで30分でたどり着くレンボガン島にある、この小さなビーチ、ソンランブンビーチに初めて行ったのは、
今10歳の娘が2歳ぐらいだったから、8年前ぐらいになるかな。
ちなみにその頃私たちはアメリカに住んでいて、サンフランシスコ空港→香港経由の→バリ→レンボガン島と、
気の遠くなるような移動を経てここに着いたっけ。
このビーチは、プレイグランドというサーフポイントにビーチエントリーできるので、
(注:レンボガンには3つポイントがあり、沖のリーフで割れているため、船で連れていってもらうのが主流)
小さい子供のいる私たちサーファー夫婦は、このビーチで子供を遊ばせながら、夫婦で交代でサーフィンできるね、と、行ってみたのです。
このビーチ、後ろにはジャングルがこんもり茂り、白砂の面積は潮の満ち引きにもよるけれど、
テニスコートを2つぐらい置けるか置けないかの広さ。
20人が寝転んだら、混んじゃう、ほんとに小さいビーチ(笑)。
ビーチチェアーとかパラソルとかは一切置いてありません。
そこで子供を遊ばせていたら、Nila’s Warung という海の家を営むイブ・ニラ(イブとはインドネシア語でミセスという意味)と出会いました。
その頃ニラは、上は13歳、下は2歳の5人(!)の娘たちを遊ばせながら、海の家を切り盛りしていました。
パパ・マデは小さな自分の船を持ち、スノーケルなどのお客さんを海に連れて行くのを仕事にしていました。
2歳だったうちの娘が、何人ものお姉ちゃんたちと遊んでもらって、私はそれを眺めてお茶しながらイブ・ニラとおしゃべり。
レンボガン島は、海藻ファームが主要な産業で、その海藻は日本の化粧品会社に買われていくことや、
土地がどんどん買われて開発されていることなど、いろんなことを教えてもらいました。
あれからほどなくして2人目の娘が生まれ、私たちのバリ移住がとんとん拍子で決まり、
バリに住み着いてからは、多い時で1年に2回ぐらい、
ある時は親友家族と、ある時は義理兄家族と、ある時は日本の母親とその姉妹たちオバタリアンズ(笑)と、
今思い起こせばいつも大事な人たちとソンランブンビーチを訪れていたな。
数年前まで無かったレンタルSUPが導入されたり、あまり選べなかったレンタルサーフボードも、
今ではショートからロングまで選べるようになったりと、どんどん遊び道具が増えていく。
イブ・ニラたちは、訪れる度に、私たちをすぐに見つけてくれて、すごく嬉しそうな笑顔で迎えてくれる。
ある時はパパ・マデの船が新調され、ピカピカで立派なボートを見せてもらったり。
ある時はイブ・ニラ不在でどうしたのかと思ったら、長女が出産だからバリの病院につきっきりだとか。
今は5人の娘たちは成長してあまり海に来なくなってしまったけれど、代わりに、
孫が毎日ビーチに遊びにきて、私たちを迎えに来たパパ・マデのボートで眠りこけてたのがすごく可愛かった。
5人の子供たちはみんな女の子だったから、パパ・マデの船は継げないけれど、
今のところ3人の孫は全部男の子だから、誰かが継いでくれるだろうって嬉しそうに言っていた。
お互いの娘たちが大きくなってしまって、前のように遊ばなくなってしまい寂しいねー、とか言い合ったり。
寂しい一方で、娘たちが大きくなったからこそビーチに安心して置いていくことができ、
夫婦ふたりでサーフィンに行けるようになったり、好きなタイミングでパドルアウトできるようになった。
この間は、美しい透き通った海で娘とサーフィンできて大感動したり。
子供たちの成長とともに、時間とともに、楽しみ方が変わってきている。
子供たちも、レンボガン島で他のビーチに行っても、早くソンランブンビーチに帰りたい、
と言うくらいここがお気に入り。ブレーンウォッシュか!?(笑)。
最近は、観光客の増加とともにボートの数も増え、
ガソリンの汚染で海藻産業がほぼ消滅したという悲しいニュースを教えてくれた。
その代わり、観光業での雇用が増えているのは事実。
時の流れとともに、いろんなことが変わっていくけれど、
このソンランブンビーチとニラの大家族が、
いつまでも平和で繁栄していきますように、と、心から願うのです。
みなさんも、レンボガン島に行ったら是非この小さなビーチと Nila’s Warung を訪れてみてくださいね。
サーフボード、SUP、バナナボート、シュノーケルや他のポイントへの船などほぼ遊び道具は揃っていますよ。